ボートレース若松 地区スター 水摩 敦

 

どん底から這い上がった「やまと時代」
意気込んで「やまと競艇学校」へ入学したものの、そこにはいきなり挫折が待っていた。競艇選手の卵が集まる「やまと」は、倍率30倍の狭き門をくぐりぬけた、いわば精鋭たちの集まり。といっても、そのレベルはピンキリだ。定期的に行われるランク分けのレースでは、レベル別に1~6グループに分類され、明確に自分の順位が格付けされる。入学当初の水摩は、なんと6グループの万年最下位。「とにかく、よくこける(転覆)んですよ。『センスがない』ってはっきり言われたこともあるし、『今度こけたら終わり』ってクビ宣告されたこともありますよ。黒板の下に、転覆しなかったら正の字を書いていく、水摩転覆記録があったくらい(笑)。でも、やめようとか全然思わなかったんですよね」。水摩 敦しかし、そこは天性の明るい性格と、地道な努力で乗り切るしかない。水摩は、意外にもアリとキリギリスなら、アリだ。とにかく、人一倍練習して、入学から半年後には転覆回数も激減した。コツさえつかめば、あとは水を得た魚。そこからは、一気に1グループまで順位を上げ、卒業する頃には1グループ1位の座に上り詰めた。
在校勝率1位7.17という優秀な成績で卒業し、2006年11月、ついにデビュー。デビュー戦にして、なんと準優進出というセンスを見せつけてくれた。「プロってこんなもんかって、なめてましたね。でも、それは結局エンジンがよかっただけ。完全に勘違いしてました」と当時を振り返る。実際、その次の節からは相次ぐ転覆・事故、怖気づいてスタートが遅れてフライングと、フライング休みでレースに出られないことも。「当たり前ですけど、やっぱり腕が大事なんだって痛感しましたね」と、厳しいプロの世界の洗礼を受けた。


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